ライターきらら、沖縄へ行く。

一度しかない人生だから。いつ何が起きるかわからないから。やりたいことはなんでもやっておかなきゃもったいない。

最近はよく泣いてばかりだ。それでも毎日は過ぎていく。

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こんにちは。こんばんわ。きららです。
もう12月になっちゃって2016年にさよならを告げる準備を始めないといけない今日このごろですが、これまで当たり前のように感じていた年末のキーンとした冷たい空気が感じられない沖縄。南国すごい。不思議な気分。
そして気がつけば東京にいた時より仕事してる気がする毎日のため、瞬きしてたら1日が終わってる気がしてます。
ただ違うのは、忙しいんだけど心の余裕がめちゃめちゃあること。


先日の夜、少し帰りがいつもより早かった主人と、夜のドライブデートへ。
ラーメン食べて、近所をぶらぶらドライブするだけなのですが、車に乗って主人といろんな話をする時間が、最高に幸せ。
正確にいうと、わたしは人を殺めてしまいそうだからという理由で周りから運転を反対され、車社会の沖縄に住みながら免許は持ってないので乗ってるだけなんだけど。

で、ぶらぶらがてら本屋さんに行きました。
わたしが無類の本好きなので、こーやってよく本屋さんに連れっててくれてて。

一冊だけ買っていいよ〜って言われたので、アンテナをぴんぴんに立てて店内を歩き回ろうとした時。
たまたま目に入った「アンマーとぼくら」という本に呼ばれた気がしたので、それを買うことに。

「アンマーとぼくら」はこちら。



買って帰ってその夜のうちに読み終わったのですが(読むのめちゃ早くて。)、やばかった。
号泣しまくり。
もともと涙もろくて、CMとかでもちょっとぐっとくるとすぐ泣いちゃうたちなんですけど、それにしても久しぶりにこんなに泣きました。
本を閉じた後も感動がおさまらなくて、うわあああああああん、って感じ。

「アンマーとぼくら」は、かりゆし58というアーティストの曲「アンマー」に着想を得た物語。
ある男性が、沖縄出身のお母さん(アンマー)と思い出つくりに、昔家族で訪れた場所を観光して回ります。
その中でいくつか小さな事件が起きるのですが、どの事件も物語の後半に進むに連れて心をぎゅーっと鷲掴みにする鍵となるものばかり。

ぜひ読んでほしいのであまりネタばれになるようなことは書きませんが、人の死について、特に自分にとって大事な人の死について考えさせられる物語でした。

この本を読んでしばらく経った12月のはじめ、わたしにとって第2の父親のような存在でもあった、空手の先生が亡くなりました。
訃報を聞いたときは、もうなにも手につかなくなるくらい辛かった。

「結婚するときはお前のお父さんだけじゃなくて俺も認めないとだめだからな!」とか、突然電話してきて「さっき東京についたから先生とデート(ごはん)に行くぞ」とか、思い出すとちょっと笑っちゃうエピソードもたくさんありました。
告別式で先生の昔の動画が流れたときは、悲しくて悲しくて周りもはばからず思いっきり泣きました。
もっといろいろお話したかったしなによりちゃんと結婚の挨拶もしたかったし、実現できない可能性のほうが高かったけどまた稽古つけてもらいたかったし、ごはんもいきたかったし、未来に生まれてくるかもしれないわたしの子どもにも空手を教えていただきたかったし、心残りはたくさんありすぎます。
でも、いつかは必ず亡くなるのが人間。
その命に授かった使命をまっとうするために、神様は命に限りを設けたはず。
そして先生は、彼の使命をまっとうしたから次の旅路へと進まれたのだと思っています。

「アンマーとぼくら」でも出てきますが、奄美諸島沖縄諸島では、ニライカナイという考え方があります。
すごく簡単に言うと、亡くなった方は、海の向こうのニライカナイという神の世界へ旅立つ、というもの。
奄美出身の先生も、ニライカナイへ行かれたのかな。
先生のことだから、きっと向こうでもちょっとおちゃめな性格を存分に発揮していることと思います。
偉大で、威厳ある、凛とした、優しく暖かい武道家でした。
あと何年後になるかわからないけど、またいつか先生に会えたらいいな。

いつどこでこの世と別れなければいけないタイミングが来るか誰にもわからないから、今、大事な人を大事にして、やりたいことは全部やって、毎日悔いのない日々を送ろうと改めて思います。

あー思ったことをとにかく書き連ねたらなんだかひっちゃかめっちゃかな構成になってる。
大事な人が亡くなるというのは本当につらいし、できることなら一生誰のお葬式にもいきたくない。
でもなんだかやっと、先生とこの世でのお別れをきちんとできた気がする。
ではまた。